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食べることと、生きること

食べることと、生きること

小学校時代の「保健室の先生」に、大人になってから再会しました。

色々なお話をする中で、心に残ったのが、「食べることと、生きることは、繋がっているんだよ」ということばです。

先生がおっしゃったのは、食べることが大好きな子ども、好き嫌いの少ない子どもは、それ以外のこと(人間関係や学校での活動、勉強など)でも、「嫌い」が少ないということです。

誤解しないで欲しいのですが、偏食のある子どもがわがままだから、「いや!」が多いということではありません。

「食べる」ということには、五感のほとんど全てが関わります。

味や匂いだけではなく、見た目、口に入れた時や噛んだ時の感触、温度。

口の周りや手に付く時もありますね。

咀嚼したり、啜ったりすれば、音もします。

食べ物そのもの以外に、食器や椅子、机、身につけている衣類、テレビの音や周囲の話し声も、それらの感覚を刺激するかもしれません。

もしも、ご自身が他の子どもに比べ、感覚が過敏だったら、どうでしょう?

いつもよりほんの少し強めの塩味に、舌がピリピリと痺れるかもしれません。

ちょっとだけ熱めのスープは、火傷しそうに熱く感じるかもしれません。

スプーンがお皿に触れる小さな音を、耐え難く感じるかもしれません。

こうした感覚の過敏さは、食事以外の場面では、また別の「受け入れにくさ」として、表れることがあります。

(特定の服や素材へのこだわり、排泄・更衣への抵抗、大きな音・声を怖がる等々)

また、他にも、気持ちの切り替えの難しさのある子どもなら、食事前の嫌な気分や、以前食べた時に嫌な思いをしたことが原因で、目の前のものを食べられないことがあるかもしれません。

「食べられない」のは、わがままだということではありません。

「食べられない」には、理由があるということです。

(特にないように見えることもありますが、それは、私たちが読み取ってあげられていないだけかもしれません。)

なぜ食べたくないのかな?

あるいは、なぜ、食べられないのかな?

何が引っかかるのかな?

どうすれば食べられるかな?

やみくもに「食べて」と勧めるだけでなく、その原因を探ってあげることが重要です。

同時に、「食べられた!」をきっかけに、その「引っかかり」を克服(軽減)できることもあります。

ちなみに、かく言う私自身はというと、どうしても食べられないのは、今ではワサビとマスタードくらいです。

子どもの頃、苦手だったトマトも、友人が作ってくれたトマトソースのパスタをきっかけに、食べられるようになりました。(生のものは、やや苦手ではありますが💦)

それと同時に、大嫌いだった、水に濡れる感触(汗や雨、海やプールで顔に水がかかること)が、あまり気にならなくなりました。

今でも泳ぐのは苦手ですが、おかげで水遊びやアウトドアなら、楽しいと感じます。

(不思議ですね。思えば、私のトマト嫌いは、噛んだ時に口の中でプチッと潰れて、水分が弾ける感触が嫌だったような気がします。)

「それ」を食べないと飢えてしまうような時代ではありませんから、どうしても嫌なものを、無理に食べさせる必要はないと(個人的には)考えます。

ただ、生きていく上での、色々な「引っかかり」を少なく、軽くしていく方法の1つとして、「食べられない」を減らす方法を考え、試していくことは、有効だと思いますよ。

食べることと、生きること。

「食べられないものが多い子は、繊細な子」とも、言えるかもしれません。

楽しく生きるために、食べられるものを『無理のない範囲』で、増やしていけるといいですね🎵

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